#マザーコンプレックスについて

私はマザーコンプレックスを自認しております。母が生きて居れば明治生まれで113歳です。母は学校には行っておりません。学校に行かなくても良い社会環境だったようです。特に女性は。ですので平仮名もろくに書けませんでした。大阪に居ている私に初めて母から手紙が届いた時にはそれを見て「何なんだこれは」と。字もろくに書けない母が一所懸命書いた手紙に本来なら感動しなければいけないのに私は一笑に付したのです。事左様に私は冷たく鈍感なのです。鈍感が良い事もあり以前にも書いたように想うのですが自分の家が貧乏だとは中学三年まで気が付いておりませんでした。食べ物にも不自由しておりましたがただただ食べ物が少なく無いだけと悲しくも何ともなかったのです。そんな母が高学歴の英語ペラペラの父と結婚したのは今は理解できます。もともと母と父が結婚したことに何の疑問も考えもしない私は鈍感でした。父の5人兄弟妹は居丈高で180cm近くあったそうですが父は唯一祖母似(150cm未満)で150cmそこそこだったようです。祖父は180cm近くあったそうです。表現として六尺ゆうよすん(ゆうよすんの漢字が解りません猶予寸かな?)たぶん大げさに言っているのでしょうね。祖父の時代は金持ちだったようです。今の鹿児島市役所近くに明治時代には珍しいビルを建てて歯医者をしていました。鹿児島県歯科医師会創設をしたそうで創設100周年に子孫として招待されて私の息子が出席しました。私は学歴が無いので恥ずかしくて遠慮しましたね。いつの間にか自慢話になって恐縮です。父は乳母に育てられたそうで乳母の故郷近くの今の弓削商船高等専門学校に入ったそうです。

以下次号 (^_-)-☆